運動しながら からだは治る
そのむかし、心筋梗塞になった人は数週間から数か月ベッド上で絶対安静を保ちました。壊死した心筋が瘢痕となり、動かしても破れないことを確認するまで、おとなしくしていたほうが良い。また、回復したとしても、心臓が弱くなっているから運動は禁止すべきである。当時は誰もがそう考え、疑問を持たなかったのです。
さて1973年のことです。ハワイ在住のスキャッフ医師は(心筋梗塞の回復期には、むしろ運動したほうが体に良いのではないか)と考え、患者さんのリハビリを兼ねてマラソン大会を開くことにしました。はじめは162名だけの小さな大会でしたが、みんなが完走し、「心臓のリハビリに運動はむしろプラスになる」事が証明できたのです。これが第1回ホノルルマラソンで、今では毎年2,3万人が参加する有名な大会になっています。
医療の歴史を見ると、病気になったらまず安静、回復期にも安静、判断に困ったらとりあえず安静!という考え方が長く主流になっていました。スキャッフ医師のように多くの人たちが運動の効能を広める努力を続けたため、いまではけがや病気の回復に運動が重要であることが知られるようになってきました。
1 安静の効果
では安静が悪いのかというとそんなことはありません。熱・腫れ・発赤などの炎症サインが明らかだったり、痛みが強かったり、体調がすぐれないときに安静にするのは大切です。症状が急速に進む時期(急性期)は患部を保護し、体の持てる治癒力が十分に働くように安静を保ちます。キズや病気が治ったら動けばいいのですが、「必要以上に」長期間大事にしてしまうと問題になります。
栄養が不十分で衛生状態も悪く、からだにきつい仕事ばかりで休みもめったに取れなかったころ、一番のクスリは休養でした。仕事をしながら体の故障から回復するじょうぶな人もいれば、休養不足で体を壊す人がいる時代ですから、運動が治療になるとは誰も考えなかったのでしょう。
2 運動の効果
私自身が実感するのはストレスの改善効果です。少々疲れがたまったときに30分くらい運動するだけでもずいぶん違います。睡眠、食欲、便通、免疫機能、自律神経の調整作用などメリットがいっぱいです。青壮年期の人にとって健康管理上運動の効果は絶大と言っていいと思います。そして体の回復力向上に直結します。
診療をしていて、若い人でも筋力が不十分な人が多いことが気がかりです。腰痛、肩こりはもちろんのこと、手足の故障にも筋力不足が関係しています。筋力不足があると、歩いたり、走ったり、階段を上り下りしたり、物を運んだりが上手にできず、無理のかかるところが故障してきます。現在、本当の力仕事をしている人はごく稀です。ふつうに暮らすだけで筋力不足になるので、ほとんどの人が運動の習慣を意識的に作る必要があると思います。
運動に寿命を延ばす効果があるかについては結論が出ていません。はっきりしているのは、年をとっても人の世話にならずに生活できる「健康寿命」は明らかに伸ばせるということです。快活に、自分なりに楽しんで暮らせる時間が増える。これって素晴らしいことだと思いませんか?
さらに過敏性腸症候群など心療内科が扱う病気、線維筋痛症など慢性疼痛のある病気、さまざまな内臓疾患や慢性的な骨関節疾患でも運動の効果が確認されています。
3 くすりで何とかなりますか
外来で「マッサージやくすりで何とかなりませんか?」と聞かれることがあります。こういった治療で患者さんが元気になるきっかけを作ることは可能ですが、筋力を上げることは運動でしかできません。リハビリの仕事を長く続けていると、ときにすばらしい結果が出てみんな大喜びということがありますが、じつは患者さんが見えないところで地味に頑張ってきた成果が積みあがり、そうなったのです。やったらやっただけのことが返ってくるが、やらなければ何も変わらない。これが運動やリハビリの世界です。自分自身が汗をかく。この気持ちを持たない限り結果は出ません。
4 運動の適否をみわける
「運動していいですよ」と言うときには、故障の治りぐあいや痛みの様子を調べて判断しています。神経痛のように動き方で症状が変わる場合には、どんな運動が良くて、何がよくないのかを説明します。慢性の故障では、患者さんの希望と今の状態を考えて判断することになりますが、できるだけ体を動かす方向で考えてあげたいので、軽めの運動から始めて様子を見たりします。運動を始めることで治りが早くなるケースがありますから、少々の痛みがあっても運動を始める判断をすることもあります。細かい観察を続けつつ、一歩ずつ前進、ときには一歩後退も交えつつ、だんだんとその人の目標に近づいていく。内臓疾患の運動指導でも考え方は同じです。人が健康に生きるために、運動は付け足しではなく、不可欠なのです。