見えないものを知ること
子供のころ、お化けや幽霊の話が大好きで、テレビに出てくる怪談映画や、雪男、宇宙人、消えた大陸の謎、狼男やドラキュラの話をドキドキしながら見ていました。今でもこういう話は好きですが、すべてほんとうだと思っているわけではありません。でも、子供だましだ!と片付けるつもりもありません。「目に見えるものは信じるが、見えないものは信じなくていい」とは言い切れないからです。
1 見えないがあるもの
誰の目にも見えないが、みんながあると知っているものってなんでしょう?ことばの中には無数の例があります。たとえば「社会」「文化」「歴史」といったことばがあらわすものはまったく目には見えません。また、点や線といった数学用語、重力や電磁波といった物理学の専門用語があらわすことも目で見ることはできません。数学や物理に興味がない人でも、冷蔵庫やエアコン、スマホを使っているはずです。こういった機械を私たちが使える理由は、目に見えないが実際には存在する概念や知識の基本があるからです。
「見えない」からないわけではないとなると、「みんながあると思えばある」のでしょうか?過去の歴史をひもとくと、当時の人たちが「ある」と思っていて、後で「ない」とわかったことがたくさんあります。昔の人は無知だったからと言うのは簡単ですが、100年後の未来にあたりまえなことは、今の人には全く信じがたいことかもしれません。こう考えてくると、「見えなくてもある」と証明するためには、なにか根本的に納得できる解決策が必要ということになります。
2 見えていてもないもの
子供のころに熱中した話の出どころを突き詰めていくとほとんどが誰かのほら話、伝説やねつ造であることを知り、ちょっとがっかり、ちょっと安心しました。しかし中には真剣な話もあり、シベリアの収容所から歩いてインドに脱出した人の体験談の中に雪男が出てきたときにはおどろきました。何か月もの間、苦難の中を切り抜けていく様子が克明に描かれていて、この人が軽々しく「雪男見たぜ!」と証言するとはとても思えません。しかし、誠実な人の証言は100パーセント正しいと言い切ることもまた危険なのです。
何年か前ですが、六甲山縦走のときです。きつい登りの最中に、木々の間から建物が見えました。さああと少しだ!と登ってみても建物はさっぱり見えず、さらに1時間上ぼり休憩所につきました。はっきり「見えた」建物は幻覚だったのです。山岳レースの練習中にも、青いテントがあると思ったらなかったとか、人がいると思って近づくと誰もいなかったり、といった経験をしました。疲労が重なり、脱水や低血糖のため脳の機能が落ち、幻覚を見たのだと思います。ほかにも薬物の影響や強く興奮する出来事が続くときに、ふつうの人でも幻覚を見ることがあります。最近の脳科学の研究から、人間はありのままを見ているのではなく、脳が解釈したものを「見ている」ことがわかってきました。幽霊やお化けの話には、こういった脳が内緒で行ういたずらが関係しているのかもしれません。
3 ないのにはたらくもの
一方、まったくないにもかかわらず、実際に大きな影響がおきることもあります。集団で体調を崩して救急病院に入院し、原因を調べてもさっぱりとわからないケースがあります。一種の集団ヒステリーのようなもので、食中毒や環境汚染などその場にいる人たちが不安を感じる理由があるとき、一人が体調を崩すなど何かのきっかけがあれば、不安がストレスとなり、実際に集団で症状をおこすことがあるのです。状況は異なりますが、オイルショック後のトイレットペーパー買い占め騒動や冷静に見れば根拠のない株式の大変動など、理由がなにもないのに世の中に大きく影響を与えたできごとが少なからずあるようです。見えないどころか本当に何もないのに現実の影響がおきるならば、見えないものの真偽の判別はさらに難しくなります。
4 医療のむずかしい理由
このように見えないものを知るということは、パッと思う以上に簡単ではありません。ところが疲労、吐き気、痛み、しびれのような医療で扱う症状のかなりの部分は「見えない」ものです。見えないものを扱うとき、医学を科学のなかまだとするなら、科学実験や機械の設計図のように理詰めで探求していくことが基本となりますが、患者さんに説明、納得してもらうプロセスが必要になります。しかし、見えないものをどのようにうけとるかは人によってちがうので、ときに理解してもらうことが大変です。長い間その人なりに生きてきたことで培われた考えが強固なために、ほかの考え方が受け入れられなくなっている場合もあります。
また人間の体は複雑なブラックボックスで、同じ薬や治療法が全員にうまくいくわけではありません。ときにはまったく根拠のない治療法が「効く」こともあり、一つ一つの体験談にたよらず医療のかじとりをするのはなかなか大変です。「見えない」ものの中から確かなものをみつけていくことがいかに難しいか。毎日これを実感しています。
ねりまインクワイアラー 128 2メートル75センチ
身長196センチ、体重94キロ、今季限りで引退を表明したジャマイカの陸上短距離選手、ウサイン・ボルトの歩幅です。側弯症の不利をはねのけ達成した100メートル9秒58の記録は不滅です。本人はサッカー選手に転身したいと話しているそうですが、今度はサッカー場で姿が見れるかもしれませんね。
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