見方を変えれば世界が変わる
このあいだ、久しぶりに袖を通したジャケットの中から1万円札が出てきました。よく考えるとぜんぜん得をしていないのですが、気持ちが明るくなった分だけ得をしたなと思いました。同じように、ものの見方一つで元気になったり、がっかりしたりすることがあります。これをじょうずに利用すれば、毎日の暮らしにはりを与え、ほんとうに体を良くするきっかけにもなります。
1 上から見るか、下から見るか
「治らない!」と繰り返し話す患者さんがいます。こちらの力不足だとしたら申し訳ないのですが、様子を細かく聞いてみると初診に比べずっと良くなっていて、(これならいいのでは?)と内心いぶかしむことがあります。さらに聞いてみると「若い頃はこんなことはなかった」「期待していたほど早く治らない」といった答えが返ってきます。医療を受け持つ側から見れば(それはあたりまえ)なのですが、説明が不足しているのかもしれません。それともう一つ、患者さんの物の見方があるようです。昔は…とか若い頃は…といったフレーズを使うと、一番良い時を基準にして物事を捉えることになりますから、今はダメという評価になるわけです。反対に、病気やけがのためにずっと調子が落ちてしまったのに、ここまで良くなってきたぞ、この調子で行こう!と考える患者さんもいます。今の症状がほぼ同じであっても、上から見るか、下から見るかで心に写る風景は違ってきます。最近の研究からは、気の持ちようは少なからず体の調子に影響を与えることがわかっています。見方を変えるだけでも、ひょっとすると体が変わるかもしれませんよ。
2 損得を見直す
わたしがいつも不思議に思うのは、世の中が健康ブームで、スポーツジムは人がいっぱいで、運動の効能がさかんに宣伝されているのに、実生活では楽をしようとする人がとても多いことです。少し歩けば信号があるのに、ショートカットをするために道路を横断する。骨を強くするためには重い物を持つことが大事なのに、ショッピングカートを常用する。運動不足を補うにはやや強めの運動が必要なのに、階段を使わずエスカレーターを使ってしまう。毎日のちょっとした買い物も車を使ってしまう。少しぐちっぽくなりましたが、考えてみてください。
遠回りをするのも、重い物を持つのも、階段を使うのも、運動不足を補いあなたの得になることです。普通に暮らせば運動不足になり、生活習慣病や骨粗しょう症につながるのが現在の生活です。まめに体を動かす機会を損と思わず得と考えてみてはどうでしょうか。
3 ジョーシキを疑う
「年寄りくさく見えないように背筋をのばしている」人がたくさんクリニックを訪れます。無理に背中を反らしすぎて腰痛や神経痛になるためです。若くて健康な人が猫背で歩いていれば、たしかに背筋を伸ばす必要があるかもしれませんが、年齢が上がってきたら話は別です。健康で元気に暮らしていても、背骨の年齢的変化は必ず起きて、誰もが多少は背中が丸くなります。たとえにすると申し訳ないのですが、天皇皇后両陛下も随分と背中が丸くなりましたが、歩く姿は品があり、優雅です。年齢が高くなっても体をしっかり動かし、生活習慣に気を配っている人には風格があります。若さを失うことを恐れず、美しく老いる。ムズカシイけれど、そうなれたらと思います。周りの人に言われたとか、テレビで聞いたとかに惑わされず、自らの判断力を養いましょう。世の中のジョーシキは、もしかしたら非常識かもしれません。
4 完璧でないことを愛す
年齢が上がってくると体の故障が増えてきます。健康診断のチェック項目に問題点が挙げられ、医者に行けば「年だから仕方がない」と言われ、さらに落ち込む人もいるでしょう。でもどんなに完璧に生きたとしても、いつまでも完璧なからだでいることはできません。まだまだ動くからだをだいじにして、毎日を大切に生きることです。年を重ねることのデメリットだけでなく、賢さ・判断力・計画性・思いやりのように経験から得られたメリットを生かしましょう。人と出会い、話をして、自分だからできることをみつけましょう。
リハビリ室にお茶碗の写真が貼ってあります。室町時代の将軍足利義持公が愛した名品「馬蝗絆(ばこうはん)」です。割れた茶碗に継ぎを施しており、ふつうに見ればガラクタ茶碗です。見る人が見れば名品となり、後世にまで伝わるようになったのです。人間はおぎゃあと生まれたときがまっさらな状態で、病気やケガをしながら、それでも一生懸命生きていきます。小さな割れ・欠けがあったって、それがなんだ!と思って暮らして欲しいのです。故障があっても、誰かにガラクタだと思われたとしても、自分には名品と思って大切に扱う。あなたの体は、あなたにとって名品です。手に取り、毎日使い、心ゆくまで楽しむことです。
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