トリガーポイントの作り方
肩こり、腰痛や手足の痛みの相談で仕事上しょっちゅう出会うのが、トリガーポイントです。筋の中に触れるしこり状の部位で、押すと痛みます。痛みそのものは押したところより離れた部位に感じるので、患者さんにすれば(痛いところと違う場所をさわっている)と思うかもしれません。医師なら一度は聞いたことがあるトリガーポイントですが、その実態はあまり知られていません。そもそもトリガーポイントはなぜできるのか?今回のおはなしです。
1 トリガーポイントとの遭遇
トリガーポイントのことは大学病院での研修のころから意識していました。レントゲンや血液検査ではわからない痛みの原因があるらしいこと、そして一般に思われている以上にトリガーポイントのケースが多いのではと考えていました。なかなか良くならない腰痛の患者さんたちを診るうちに疑問が膨らんで、病院の仕事とは別に痛みの原因について調べ始めました。痛みそのものを扱った医学書自体がめずらしく、なかなか国内では見つからなかったので、海外から専門書を取り寄せ読むことを続けました。
そのなかに「トリガーポイント・マニュアル」があったのです。アメリカの医師が書いたトリガーポイントをきちんと扱った本です。読み始めてまさに目からウロコ!一般的な整形外科の専門書にはまったく書かれていない内容に驚くばかりでした。ただし、中身を100パーセント信用したわけではなく、そこに書かれていることを少しづつ実際の診療に取り入れながら、うそ?ほんとう?と自問をくりかえしつつ検討していったのです。
2 自分で経験してわかったこと
想像以上にトリガーポイントの知識がからだの故障の治療に役立つと実感したころ、ふつうの診療の現場にこれを持ち込んだらどうだろうと考えました。そこで開業を決断し、仕事もまあまあ順調だったある日、突然からだの調子を崩しました。たびたび触れていることなので委細は省きますが、クリニックのほかに医師会の仕事が加わったことと、遠方の父親が病気になり亡くなるまで肉体的・気持ち的に消耗したことが理由にあったのだと思います。
このときトリガーポイントの知識がとても役に立ちました。実際に症状が良くなったのですが、なにより「自分で自分の体のめんどうを診れる」「夜中でもどんな時でもなんとかすることができる」という気持ちになれたのが大きかったです。からだの故障があるとき、症状に加えて不安感が大きく膨らみ、むしろ強い不安のほうが本人を苦しめることがあります。こんなとき、「なんとかなる!」と思えるだけでつらさが半減するのを実感しました。
その後も運動のし過ぎが原因であちこちにトリガーポイントを作ったり、かかとの骨折で手術を受けたり、いろいろ失敗を重ねてきましたが、トリガーポイントへの対処法を知っているから「どんなときでもなんとかなる」と思えるようになりました。トリガーポイントはけっしてめずらしい故障ではなく、ごくふつうの人たちが普通の生活をつづけているのにできるのです。でもたまたま運が悪かったからできるのではなく、できるのには理由があり、それを知っていれば発症を予防したり、トリガーポイントの症状を改善・消失することができるのです。
3 トリガーポイントの作り方
トリガーポイントはちょっと特殊な筋のこりと言い換えてもいいです。ここではトリガーポイントを作る三大要因を挙げます。
-
疲労の積み重ね・・・いちばんわかりやすい理由です。睡眠時間が少なく、仕事時間が長ければ、どんな人でも疲れがたまります。そのまま何か月・何年もなんとかなっていても、さらに体に負担がかかった時に堰を切ったように調子を崩します。次のストレスがきっかけになりやすいです。
-
ストレス・・・いらいら、どきどき、ぴりぴり。言葉で表現するとこんな感じでしょうか。こういう状態が続くと自律神経のバランスが崩れ、交感神経優位となります。興奮モードが続き、からだの回復メカニズムが働かなくなります。こんなとき、運動が大きな役割を保ちます。
-
運動不足・・・有酸素運動による新陳代謝の活性化は言うに及ばず、運動には脳の整流効果があります。余分な神経の働きを抑え込み、デフォールト・モード・ネットワーク(脳がリラックスできる状態)にもどす手助けをしてくれます。
4 トリガーポイントとの付き合い方
長いこと人間をやっていれば、だれでも調子を崩す時があるものです。トリガーポイントはだれにでもおきるものですが、命とりでもないし、痛くてもなんとか普通の生活ができるくらいのことが多いです。ときには腰が痛くて眠れなかったり、肩こりがきつくて仕事に集中できなかったり、こじれた五十肩で夜に目が覚めたりすることもあります。
はじめのうち病院の手助けも必要と思います。落ち着いてきたら、暮らしの中の問題点を見直し、運動・ストレッチ・セルフマッサージなどのセルフケアにチャレンジしてみましょう。やればできる!まず試してみましょう。
ねりまインクワイアラー 192 人工知能
絵が描ける。お話が作れる。宿題もできる。コンピューターがどんどん人間に近づいています。人がやっていた仕事をかなりこなせるようになってきました。では人にしかできないことはなんでしょうか?や
ことばはむずかしい
先日朝ドラで短歌づくりに悩むシーンを見て、もともと詩や短歌が苦手な私は(31文字ぼっちなんだからぱっと作れないのかな?)と一瞬思いました。でも、短歌作者の方はきっと血を吐く思いで作っていると想像しています。こんな私ですが、それでも仕事の中で言葉づかいに悩むことがあります。今回のお話です。
1 ことばの意味
国や文化が異なると同じ意味のことばでも、実際に与える印象が大きく異なることがあります。典型的なのは「水」です。身の回りに水が豊富にある土地に住む私たちは「さっと湯がいたり」「湯でこぼしたり」「水にさらしたり」をふつうに話していますが、水が大変貴重な砂漠地帯に暮らしている人たちにこれらの表現の雰囲気を実感してもらうのはきっと至難の業でしょう。
「古池や かわず飛び込む 水の音」という有名な俳句を鑑賞するとき、(かえるが池に飛び込んだ)という解説ではまったく不十分なのは皆さんおわかりと思います。濡れた苔に囲まれた小さな池、おそらくアマガエルが水草の上から水に飛び込み、ぼちゃんと音がして、そのあとに静けさがただよう・・・こういったことを瞬間的に理解できるのは作者と同じ環境や暮らしを経験している私たちだからできることです。
では同じ町で、同じ空気を吸っていればことばのイメージを100パーセント伝えられるのか?自分が言いたいことをなかなかわかってもらえないという経験は誰にでもあるはずです。医療の世界も同じ、こちらが伝えたいということが伝わらないという経験は医師の側にも、患者の側にもあります。それも、けっこう頻繁にある気がしています。
2 たとえ話は役に立つのか
「千里の道も一歩から」と聞けば(あーそうそう、どんなにすごいことでもはじめは小さな努力からはじまるんだよね)とわかるのはなぜかというと、学校の先生や親に教わったからです。聞いたまんま、千里の道を歩くときに一歩目からはじまる?あたりまえじゃん!と考えてもおかしくないのに、道という言葉から人生とか学業とか別のイメージに置き換えて考えることを抽象化といいます。具体的な出来事をもっと広いことにまで通用する概念に置き換えること。「たとえ話」がやっているのはこれです。
どんな分野でもむずかしいことをわかりやすく伝えたいとき、たとえ話はとても役に立ちます。でもなかなかわかってもらえないときもあります。ひとつはたとえ話の出来が悪くイメージが伝わらないとき。もうひとつは抽象化に慣れていない人と話すとき。抽象化は脳トレのひとつなので、得意な人も不得意な人もいます。たとえ話がうまくいって、(あ!わかった!)という顔を見るととてもうれしいです。うまくいかないときはちょっとがっかり、プランを練り直し別のたとえ話を試します。たとえでどれだけイメージを広げられるか。勝負のしどころです。
3 身動きを口で教えることはできる?
スポーツや習い事をはじめるとき、初心者は上手な人の動きをまねようとしますが、なかなかうまくいきません。うまくいかない理由はまだ体ができていなかったり、動きの中でどこが勘所かがわかっていなかったりさまざまです。そして練習の後、いろいろ指導されてもよくわからないってことありますよね。
あとから教わるのでなく、動いている瞬間にずばっと指導する方法を研究している人がいます。ゴルフの「チャー・シユー・メン」長嶋さんの「スウーっと来た球をガーンと打つ」に近いのですが、その人の動きをコンピューターなどで解析して一歩先を読んで指導するという研究で、ちょっとづつ成果が出ているようです。
私の仕事では、腰痛の患者さんなどで姿勢やからだの動き方を指導するのですが、自分ではわかりやすいと思っている感覚を言葉で伝えるのにとても苦労することがあります。腰という言葉一つをとっても、人によってイメージが全然違います。だから指導はオーダーメードが必要、まだまだ改良が足りないと感じています。
4 プラセボとことば
プラセボとは、「ほんとうは効果がないはずなのに(心理的な影響で)実際に効果が出てくること」を指します。新薬・治療法の開発現場ではあまりいい意味で使われていない言葉ですが、あらためて考えてみるとこれってすごいことだと思いませんか。患者さんの気の持ちよう(あるいは持たせ方)が実際の効果に無視できない影響を及ぼすのですから。うん十年医者の仕事をして感じるのは、同じことを話していても言葉の受け止め方は人によって全然違うことです。こちらがいい意味で使った言葉を悪い意味で受け取られてしまうことがあれば、その逆もあります。医療のことばは耳慣れないものばかりですから、医者が気軽に使っている言葉でも患者さんが聞けば不吉な響きがすることもあり得ます。でも長いこと診ていて思うのは「たいていのことはなんとかなる」ということ。なんとかならないように見えるのは、短期的に物事を見すぎていたり、必要以上に恐れていたりいろいろなので、その辺の心のコリをほぐしていけたらと考えています。ちょっとした見方の修正が、良い方向につながることを期待して。
ねりまインクワイアラー 191 日光と健康
日に当たってビタミンDを作るか、日光を避けて皮膚がんを作らないか。こういう二者択一の考え方をしていませんか?答えはどちらでもありません。そのあいだに解決策が見つかるはずです。