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朝ドラ「ブギウギ」おもしろいですね。主人公役の趣里さんは子供のころからバレリーナを目指していましたが、足のけが(踵骨剥離骨折)でキャリアをあきらめざるを得ませんでした。でもあんなに踊れてるのに?!と思いますが、それだけ厳しい世界なのでしょう。私の趣里さん押しひとつめは、自分も同じけがをしたのでその苦労がよくわかること。もうひとつはお母さんの伊藤蘭さん(元キャンディーズ)が高校の同窓だからです。
あたりまえだと思っていたことがちがうと言われた。自分の考えた理屈と全然あわないのでついていけない。聞いたこともないので判断に困る。予想もしない話を聞かされた時、こういう風に感じるのは人間の本性です。直感や経験をねじふせて理論や理性だけで判断することは、私たちの得意分野ではありません。
ではありますが、それではまずい!場合があることをお話しします。
19世紀中ごろのオーストラリア・ウイーンの出来事です。産科医のゼンメルワイスは、同じ病棟で分娩を行った女性のうち産褥熱で亡くなる人の割合が、助産婦の介助に比べ、医師の介助のときに10倍も高くなることに気づきました。当時の医師は別室で素手のまま解剖を行い、特別に手を洗うことなくそのままお産の介助をするという習慣があり、ゼンメルワイスはこれが原因ではないかと考えました。そこで試しに医師がお産の前には必ず石炭酸で手を洗うようにしたところ、産褥熱による死亡率が劇的に下がったのです。産褥熱の原因を医師が手を洗わないからとした発表はセンセーションを引き起こしました。発表の内容は筋道の通ったものだったのですが、医師たちの反発は大きく、ゼンメルワイスは仕事を追われたばかりか肉体的な暴力がもとで命を失いました。
まだ細菌の発見以前であり、何が産褥熱の原因になったのか完全に説明できなかった点もあげられますが、なによりも医師が患者を殺したことになるという主張がどうしても世間の感情に受け入れられなかったのです。
これほど劇的ではありませんが、最近では傷の消毒について考え方が大きく変わってきました。わたしが学校を出たころは、傷にはヒビテンやイソジンなどの消毒薬を塗るのが一般的で、医師でこれを疑う人はいませんでした。ところが、近ごろは傷そのものに消毒薬を直接塗ると健常な組織を傷めるので塗らないほうが良いという考えが主流になっています。また抗生物質の使い方も変わってきました。以前はとりあえず感染予防に抗生物質を処方するのがふつうでしたが、今では予防的投与はできるだけ少なくして耐性菌を作らないことが大事だと考えられています。医学の世界だけでなく、世の中のあらゆる分野で昔の常識と今の常識がちがっていることはめずらしくありません。わたしたちがあたりまえと思っていることのかなりの部分は、「みんながそう思っているから、わたしもそう思っている(気になっている)」のです。たいていの場合、それでうまくいき誰にも文句を言われないのですが、環境、気候、経済や科学の進歩など新しい変化により今までの常識が通用しなくなる時があります。それに最初に気づき、声をあげられる人こそほんとうに考えている人です。常識にとらわれず、事実から推論を組み立て、新しい考え方を生み出せること。私たちはできているでしょうか?
まだ飛行機が発明されて間もないころのことです。四枚羽の複葉機が一般的で、エンジンが非力なため操縦は難しく、墜落も珍しくありませんでした。墜落の一番の理由は離陸直後のエンジンストップで、パイロットはあわてて引き返そうとします。危険を感じたら基地に引き返そうとするのは自然な反応ですが、回旋することでさらに失速し、墜落する事故が後を絶ちませんでした。飛行機の物理学を理解していれば、エンジンが止まった時はそのまま真っ直ぐに滑空して前方の空き地のどこかに不時着するのが一番安全で、パイロットは本能に逆らってそのまま飛び続けなければなりません。人間の本能は役立つことも多いのですが、このように論理的に(つまり理屈っぽく)ふるまわないとマズイ!という場合があります。学校で習ったリクツは実生活に無縁だと思っている人はどこかで損をしている可能性が高いです。
スマートフォンやネットを使っている人は多いですが、そのしくみがわかっている人はめったにいないでしょう。それでもふつうに使えているのはいざというときに専門家がいるからです。平安や鎌倉時代なら一人でカバーできる技術は広範囲にわたりますが、情報が爆発的にあふれた現代に本当の専門家になるためには、かなり狭い領域を深ほりしていくことが必要です。専門馬鹿は問題ですが、専門家を尊重することも学ばなければなりません。プロ(専門家)の意見はときにあなたの直感や常識に反することがあります。期待した答えではない可能性もあります。それは深い専門知識があってのことで、ちょっと聞いただけでなぜかはわからないかもしれません。自分の知識だけで専門家の良し悪しを判断するのは慎重にすべきです。わたしも自分の仕事以外はまったくの素人ですから、何かわからないことがあったらネットや本で調べるとしても、最後はきちんとしたプロに相談することが必要だと考えています。
アインシュタインが予言した物理現象の中で最後まで確認できなかったのが重力波です。物と物が引き合う力=重力は物と物の間にある空間のゆがみによって生じます。このゆがみは一種の波のようなもので、空間を伝わっていきますが、今まで観測することができませんでした。近年重力波を検出できたという報告が続いており、ノーベル賞の取沙汰もされています。何の役に立つのかな?今のところ誰にもわかりませんが、無重力装置やタイムマシンの発明につながるかも!と期待しています。
武田鉄矢さんのCMをご覧になった方は、シンケイショウガイセイトウツウって何だろうと思ったのではないでしょうか。診察中にはなかなかじゅうぶんに説明できていない気がします。あらためてお話しします。
1 痛みには種類がある
たんこぶ、切り傷や骨折など。こういうわかりやすい痛みのことを、侵害受容性疼痛(しんがいじゅようせいとうつう)と呼びます。痛みを感じる神経の末端が刺激を受けて痛みを感じます。ところが神経障害性疼痛では、神経そのものに故障が起きて痛みがおきるので、神経が通っている部分(末端部)には何も問題がなく痛みを感じます。世間一般で神経痛と呼んでいるもの、帯状疱疹後の神経痛や特殊な痛み(片手症候群・CRPS・視床痛など)がこれに入ります。
もうひとつ、忘れていけないのが心因性疼痛です。この場合も痛みを感じる部位には本当の故障は見つからず、心理的な原因のために痛みを感じます。気のせいではなく、この痛みはほんとうに痛いのです。痛みが起きるしくみははっきりわかっていませんが、脳の過敏性や筋・血管の攣縮が関係していると考えられています。
これとは別に急性疼痛と慢性疼痛という分け方もあります。けがや病気のために痛むものは急性疼痛ですが、けがや病気が治ってから時間がたっても痛みが残る場合を慢性疼痛と呼んでいます。慢性疼痛ではいろいろな痛みが混じっているといわれていて、治療にいろいろ工夫が必要です。
2 神経は電気配線
神経障害性疼痛がわかりにくいのは、痛みの原因の場所と感じている場所が同じでないからです。
頭の中でステレオセットを想像してみてください。ラジオやCDを操作する本体と左右のスピーカーは配線でつながっていますね。本体から配線をつたわって電気信号がスピーカーに流れ、音楽を楽しむことができます。どちらかのスピーカーが鳴らなくなったとしたら、①スピーカーが壊れた②つないでいる配線が途中でおかしくなった③本体が故障した④電源コードが抜けていた⑤停電などいろいろ原因を考えつくと思います。神経障害性疼痛はこのうちの②(一部③も入る)にあてはまります。スピーカーはまったく壊れていないが、配線に問題があって音が出ない場合です。むしろ接触が悪くて音が変になっている状態といったほうが近いかもしれません。
肩が痛いのに首に原因があったり、膝が痛いのに腰に原因があったり、神経障害性疼痛はよくあります。とくに年齢が高くなり、背骨の変形が進んでくるとちょっとしたことから神経痛がおきてきます。本人にしてみると本当に肩や膝が痛むので、原因が別のところにあると言われてもすぐに呑み込めないのもわかります。痛みそのものは目に見えるものではないので、なおさらわかりづらいと思います。正直に申し上げると、お医者さんたちにとっても判断が難しいことがめずらしくありません。
3 神経障害性疼痛のみわけかた
コマーシャルで言っているように「じんじん」「びりびり」「ちくちく」とした痛みが代表ですが、「ずきん」と刺し込むような痛みのこともあって、感じ方だけで区別するのは難しいです。背骨の変形やヘルニアが原因の場合、姿勢や体の動かし方で痛みが変化するので、患者さんにいろいろな格好をとってもらって痛みの度合いを聞いていきます。
実際にはかなり細かい観察が必要になります。たとえばひざがしゃがんだり立ったりするときに痛むという人を診るとします。立った状態からしゃがむとき、腰椎も反る動きをするので、脊柱管狭窄症のある人では神経痛としてのひざ痛がでることがあります。もちろん膝関節の炎症がある人も屈伸で痛みますから、パッと目にはどちらも同じ症状です。そこでさらに腰や膝の細かい動きを観察してどちらがほんとうの原因かを考えます。
あたりまえでもすごく大事なのがひざ(痛みを感じる部位)をきちんと診ることです。ひざに熱や腫れがあれば膝に問題があることがはっきりしますから、神経痛の可能性は低くなるというわけです。
4 良くするには
すり傷を治すには、上にばんそうこうをあてて傷を保護し、皮膚がもとに戻るのを待ちます。神経痛を回復させるのも基本はすり傷と同じです。傷ついた神経が回復しやすいように、せぼねの動きや筋肉の使い方を練習します。神経に無理のない動き方を続けていれば、次第に神経は回復してきます。そのために、患者さんが積極的に治療にかかわることが必要です。注射や薬だけではなかなかすっきりしないことが多いので、人任せにせず、自分がやれることをやりましょう。かたい体は柔らかくし、弱った筋肉は強くする。病院で指導はできますが、やるのはあなたです。地味な努力をつづけることが結果に結びつくといえます。
小さいころの怪獣好きから恐竜の本に夢中になり、博物館の恐竜骨格に感動しました。すこし大きくなると生き物の進化の本を読むようになって、小さな単細胞の原始生命から地球上のあらゆる生き物が生まれてきたという不思議さに胸をときめかしました。いまでも生物と進化論の話は私のフェイバリット(お気に入り)ですが、進化がわかればお医者さんの仕事もわかります。医療に役立つ進化の話です。
肩はえらぶた、うではむなびれ
人間と魚の先祖が大昔には同じだったことはたしかなのですが、どんな形をしていたのかはっきりしたことはわかっていません。ですが右図のようにほぼ今の魚に近いかっこうであったようです。えらぶたが外側に大きく張り出して、そこにむなびれがつながっている様子を想像すると、人間の肩~うでにどこか似ているような気がしませんか。じつは長い進化の歴史の中で、えらぶたが肩へ、むなびれが腕へ変化したと考えられています。親から子への変化はきわめてわずかであっても、何億世代も小さな変化が続くとほとんど信じられないくらい形や機能が変わってしまいます。えらはなくなったもののえらぶたは肩となり、水をかいていたむなびれはものを握れる腕に変わっていったのです。
おしりとかかとは遠くて近い
魚よりもずっとむかしの御先祖のピカイアはミミズのようなナメクジのような姿をしていました(図2)。
Wikipediaより
人間の先祖もおサルまではしっぽがあり、むかしの尾びれの名残だったのですが、いまは尾骨になっておしりの中にたくしこまれています。
ピカイアやミミズの場合、あたまからしっぽ?までが短いふし(節)に分かれていて、基本的に同じ節をたくさん並べて体ができあがっています。人間のからだははるかに複雑ですが、おどろくことに皮ふ表面の神経配列はこの体節構造のままになっています(図3)。これを見ると肩から手にかけて、腰から足にかけて帯状に線が引かれているのがわかります。肩と手、おしりとつま先はそれぞれ遠く離れていますが、神経の配列は同じグループです。この神経の配列を知っていると神経痛などの診断・治療がわかりやすくなります。
横隔膜は肩の筋肉
おなかと胸の間には横隔膜という筋肉があり、呼吸をするときにだいじな働きをしています。横隔膜は哺乳類にしかなく、鳥や(おそらく)恐竜では代わりに気嚢(きのう)という構造を使って呼吸をしています。横隔膜があるから肺をしっかり動かしてじゅうぶんに酸素を取り込み、長い時間動き続けることができるのです。この横隔膜、肩の筋肉の一部だったという説が有力です。人間のからだでは横隔膜は肩よりずっと下にあるのに、どうしてそうなるのでしょうか?進化の流れで見ると、肺は魚のうきぶくろと同じで、もともとはのどの途中にあるくぼみでした。これが複雑に発達して肺に変化していくときにからだの後ろのほうに移動していったのです。横隔膜も一緒に移動して、とうとうからだの真ん中まで降りていきました。だから、肩と横隔膜の神経は今でもつながっています。肝臓、肺や心臓など横隔膜のそばにある臓器に故障が起きると横隔膜が刺激を受け、肩が痛くなるのはこのためです。
進化が分かれば病気もわかる
腕が痛いのにどうして五十肩だと言われたのだろう?手や背中がしびれるのにくびが原因なのはどうして?ひざや足首が痛くて病院に行ったのになぜ腰を調べるのだろう?お医者さんの診察はなぞのようで、よくわからないことがあるはずです。わからない理由の一つは体の中のいろいろな臓器や神経の配置・配線図が複雑で、ふつうに考えればとんでもないところでつながっているからです。でも今では配線のかなりの部分はわかっていて、お医者さんのトレーニングでこれを頭にたたきこまれます。後はきちんと診察・検査をして配線のどこに問題があるかを突き止めれば、オーケー!となります。
そして治療にも役立ちます。腹式呼吸がどうして健康にいいのか、横隔膜がどうして哺乳類で発達したのかを考えればよくわかります。からだの仕組みの「なぜ?」を知ることは、すなわち進化を知ることと同じ。そう言っても言い過ぎではないでしょう。